アメリカ時代の過去記事

2017年5月31日のブログ「マサさん帰国」

良き友人でもあり恩師でもあるマサさんが、22年間のアメリカ生活を終えて明日の便で日本に帰国されます。

大学を卒業してATCになり、大学院でGAを経験して、NCAA D1のUICで10年間フルタイムATを勤めながらNeprapathic Medicineの学位を習得し、自分のクリニックを開業。帰国間際で忙しい中、一晩だけ僕ら家族に会うために片道6時間かけて訪ねに来てくれた時には「アメリカでやりたい事はやった」と清々しい表情で言いました(本帰国に伴う引越し作業には大分やられていましたが)。

シカゴでのインターン時代に出会ってから、かれこれ10年近くの付き合いで、僕のこの10年間の歩みにとても大きな影響を与えてくれました。当時Neprapathyの勉強をしていた彼からはManual Medicineへの関心を持つきっかけをもらい、ニューヨークでのインターン中に次のステップを考えて学校探しをしていた時に相談した際にはManual Medicineとリサーチの両方を学べるミシガンステイトの名前を挙げてくれ、結果的にそこへの進学を決めました。

ミシガンステイトでの4年間がなければ今の技術と知識はありませんし、ピストンズでのインターンも経験できなかったわけで、そうなると今の仕事もしていないと思います。今の仕事が決まり、家族の次に真っ先に連絡をした時には自分の事のように喜んでくれたのを覚えています。この10年間で、何度相談に乗ってもらい、アドバイスを頂いた事でしょうか。

僕が絶対の信頼を置いているマサさんですが、それは彼の知識や経験によるものだけではありません。根底となる出来事は、彼と出会って数日後に起こりました。シカゴでのインターンが始まり、目にするNBA選手達に恥ずかしながらも舞い上がった自分は、当時のブログに選手の名前は伏せつつもファン目線での文章を投稿しました。それに対して、真剣に叱ってくれたのがマサさんでした。その時に、彼への深い信頼が生まれました。

今の仕事に就いてからは、シカゴ遠征の度に会っては話し込み、新しい技術や知識をシェアしてもらい、ガタのきていた身体をメンテナンスしてもらっていました。

友人としても家族ぐるみの付き合いで、ミシガン時代にもオハイオに移動した後も、何度も訪ねに来てくれました。子供達にとっても、お客さんではなく友達のような存在のようで、自然体の子供達に本当によくしてくれました。フィオナにとっても、僕の友達としてではなく、フィオナ自身の友達なんだと思います。

今後、仕事帰りにパッと電話したいなと思った時やシカゴ遠征の時に、もう帰ってしまったんだなと実感することでしょう。空港で見送れない事が残念ですが、空に向かってお辞儀します。

寂しいけれども、僕にもいつか来るであろうアメリカを去る日に、彼のように「アメリカでやりたい事はやりきった」と言い切れるよう、これからも歩みを進めて行こうと思います。