アメリカ時代の過去記事

2011年12月22日「迷いと対話」

今から10年前の2011年、NBAチームでのインターンからミシガンステイト大学に進学し2年ほど経った時に残した当時の葛藤と気づきの記録です。

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今までの人生で何度かあった、自分が進む大きな方向を選択する機会。アドバイス・サポートをしてくれる人達と、そして間違いなく運にも恵まれ、自分が信じるベストだと思う路に進む事に恵まれてきました。当然、後悔している選択は一つとしてありません。

New York Knicksでインターンをしていた時に決まった、ミシガンステイト大学のPh.D課程への進学。月並みな不安や期待といった想いと共にあったのは、“この先4年間、自分が成長できると信じられる場所で過ごせる権利が保証された”という「安堵」でした。

日本人の僕がアメリカに滞在するには、ステータス(ビザ)が必要です。

ATTACK Athletics→New York Knicksでのインターン期間の1ステージ前は、University of Arkansasでの修士課程に在籍していました。「学位修了+インターン/就職先が決まっている」という条件で取得できるOPTという1年間の研修ビザ。ターゲットをNBA関係に絞っていた僕は「インターン先が見つからない=アメリカに残れない」という現実を強く意識してのインターン探しでした。

(10年後の2021年追記:何の確証もないのに大きなギャンブルをしたものです。今の自分にはできない選択は、「若さ」「勢い」としか言えません。)

運と縁と情熱で掴んだChicago/NewYorkでインターン。その新しいステージに足を踏み入れた時から、次の進路を考えはじめました。「1年間のOPTが切れた時に次の進路が決まっていない=アメリカに残れない」からです。

このような経緯があったので、少なくとも4年間の在籍が決まっているミシガンステイト大学への進学が決まったときに、安堵したわけです。

「最後の準備期間」と位置づけたミシガンステイト大学での4年間。自分が背伸びをしないと置いてけぼりをくらってしまう環境での日々は、それに相応しいものです。

そんな場所いられる事、そしてその権利を得る後押しをしてくれた人たちへの感謝と共に過ごした2年と少し。プログラムも佳境に入ってきた最近、ある感情に気付くことが多くなりました。

平たく言うと、「焦り」です。そしてその焦りから生まれる「迷い」。

信じて費やすと決めた4年の準備期間は、自分の描く将来に本当に繋がっているのかと。

答えは分かっているんです。繋がっている。繋げる事ができる。

ただ、没頭している最中、ふと顔を上げたときに自分の内に感じる、確かな焦り。

先週、期末試験に向けて勉強をしている時にも、この焦りが現れました。

おそらく勉強していた苦手科目(統計学の理論)のせいもあったと思います。

自分の中に生じた焦りやら迷いに、居ても立ってもいられなくなり、バスケットボールと一番厚いジャケットを手に取り、外に出ました。

今までの人生、悩む内容は年をとるにつれて変わっていったけれど、迷いを抱えた自分が向かう先はいつも同じ。

沼津東高校の体育館、航空公園のバスケコート、ミネソタやアーカンソーのジム、この時は少し歩いた先にある広場のバスケットボールコート。

12月のミシガンの夕暮れ。道路わきに寄せられて汚れながらも夕日を反射する古い雪。凍りついた、建物の間を流れる川。気温は分かりませんが、刺すような氷点下の空気。

手袋をしていないボールをつく手が悴み、寒さは痛みに変わり、痛みをこえて鈍くなる感覚。

迷いのある心に、感覚の鈍った手、冷え切った身体。暗い冬の夕暮れ。シュートが入るわけありません。

が、この日は違いました。

擦り切れたネットが僅かに残るリングをことごとく通過する、放ったボール。

バスケットに「俺を信じろ」と言われている気がしてなりませんでした。

バスケと歩んできたと言える人生。バスケを信じること。それは自分を信じること。

「自分を信じろ」

共感は得られないかと思いますが、あの時自分は、バスケとバスケをしていました。

 

自分の軸に一歩深く近づき、それまでは言い聞かせていた「大丈夫だ」が少しだけ確信に近づいた瞬間でした。