アメリカ時代の過去記事

2017年8月4日のブログ「別れ」

人との別れの都度に感傷的になっていたらキリがない世界で仕事をしている。

僕を雇ってくれたGMは、そのシーズン半ばで更迭となり、この4年間で2人のHCがチームを去り、1年目から在籍する選手はわずか2人。

人との別れの都度に感傷的になっていたらキリがない世界で仕事をしている。

先月チームを去った2人。彼らを思う度に感傷的にならなくなるまで、どれだけの時間がかかるだろうか。人の流れが速いこの世界での別れに、あれだけ涙を流すとは思わなかったし、友として言われた”I love you”の言葉があれほど深く響いた事は今までになかった。

僕のシーズン1年目が終わり、翌年の契約が更新されるかどうかが気になっていた時、彼は暫定GMとしてのシーズンを終えたばかりだった。5歳の時に誓ったNBAチームのGMになるという夢まで後一歩、その進退が決まらずに居ても立ってもいられなかったであろう時に、僕を部屋に呼んで「もし私以外の誰かがGMに選ばれたら、その新GMに君の契約を更新するように全力で進言してからチームを去るから心配するな」と伝えてくれた。

このエピソードから伝わる彼の人柄は、チーム環境がどれだけ変貌しても、決して変わる事はなかった。

GMとは孤独な立場だとつくづく思う。選手スタッフを含めた、人を”切る”ことも仕事の一部であり、多くの情報を自身の内に秘めておかなければならない。そんな立場に身を置きながら、ゴルフや野球の話をしに僕らのオフィスまで顔を出したり、チーム内の一部で僕のニックネームである「クマ」とカタカナで入れた帽子を作って持ってきたり、地域のマイナーリーグの試合観戦を企画したりと、スタッフとの交流を大切に、そして楽しむ人だった。

2年前、優勝直後のオークランドのアリーナで、「おめでとう」と満面の笑顔でハグをしてくれた彼に対し、僕の口から”YOU won the championship”という言葉がこぼれた。GMがチームの建築家と例えられる所以をシーズンを通して理解したからこそ、こぼれた言葉だったと思う。

その彼の若き右腕もまた、共にチームを去った。僕が渡米した11年前に、彼はフロントオフィスのインターンとしてチームに入り、そこから“99%の努力と1%の運”で若くしてアシスタントGMの地位まで駆け上がった。僕が定期的にスポーツ科学の情報をまとめてチームに配信すると、必ずと言っても良い頻度で、彼は質問を含めた何かしらのフィードバックをくれた。労力に見合った反応が得られない事の方が多い仕事において、彼のメールやコメントにどれだけ励まされただろう。また、彼は僕が勉強を続け自分の知識を深める事を強く支持してくれた。6月末にネブラスカで行われたPRIの資格試験への参加も、心強い言葉と一緒に送り出してくれた。

“We want you and ENCOURAGE YOU to do continuing education like this and this is a reasonable price for you to become proficient in a new expertise. “

多忙を極めるGMの右腕として、僕らメディカルスタッフとフロントオフィスの窓口となっては話を聞いてくれたりアドバイスをくれた。

彼もまた、スタッフとの関わりを大切に、そして楽しむ人だった。別れ際に、「自分の決断に悔いはない、ただここの人達と毎日会えなくなる事だけが悲しい」と言っていたのは本心だと思う。

僕個人とも、友人としての関係を築いてくれて、お互いを1部の人だけ理解できるようなニックネームで呼び合ったり、フリースローで下らない賭け事をして楽しんだり、しょうもないテキストを送りあったり、共にバスケで汗を流したりした。バスケでの相性は抜群で、彼とチームを組んだ時の勝率は本当に高かった。彼もそれが強く印象に残っていたようで、”We never lost when we play together”と懐かしそうにしていた。

彼らの行く末を心配する必要がないのは十分に分かっている。

ただただ、彼らと会えなくなり、彼らが掲げたゴールを達成する一助になれなくなったのが、寂しい。

彼らを思う度に感傷的にならなくなるまで、どれだけの時間がかかるだろう。