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【和訳】To Anybody Going Through It by Kevin Love

Cleveland Cavaliersのスター選手、ケビン・ラブは、2018年に自身が経験したパニック発作と、その後セラピストとの対話を通して学んだ事をThe Players Tribune上で告白しました。
Everyone Is Going Through Something(本文)
誰もが皆、何かを抱えている(和訳)

それから精力的に精神衛生の啓蒙活動を続けてきた彼の新しい手記が同プラットフォーム上にて掲載されたので、和訳/紹介します。本文はこちら

To Anybody Going Through It

鬱でいることは疲れ果てる。

(心の)暗所にいるとき、家族や友達を含む周り皆は、”前のあなた”に戻って、幸せで、好きなことをしているのを見たいと望む。精神衛生において、最も残酷な皮肉の一つだ。

時々、周りの世界がこう言っているような気がする。「さあさあ、いい加減に乗り越えろよ。そんな風に考えるなって。前に進めよ。」

でも、外にいる人たちが理解できないのは、すべての力と意思を振り絞っても、ただ生きている事だけで精一杯だってこと。鬱と戦うこと、不安と戦うこと、どんな精神疾患と戦うこと、、、、それは信じられないほど疲れ果てるんだ。

このことが、最近ずっと頭にある。世界中の多くの人が職を失い、愛する人を失い、前例のない人としての不安を抱えている2020年。多くの人たちが苦しんでいて、自分も例外ではない。僕も、まだ過程の中にいる。過去2年半に渡って行ってきた全てをもってしても、耐えられないほど辛い日がある。

ただ、呼んでみよう。クソみたいな日がある。そうだろ?

口にすると気分がいい。

一番良い時でさえ、多くの場合において不安であることが僕の標準設定だ。子供の時からそうだった。目が覚めたその時から、低いレベルの恐怖を胃の中に常に感じるような。後ろで流れていてるホワイトノイズが「いつ何時でも悪い事が起ころうとしている」と語りかけてくるような。この恐怖感は、ニュースやソーシャルメディアなどによって倍増されて、時を選ばず僕を渦に巻き込んでいく。

僕にとっての出口は、いつもバスケットボールだった。でもそれは、公園に行ってボールを転がした途端に全てが解決するというような、よくある決まり文句的な意味ではない。完全に異なる類のものだ。

それを最も的確に表現していたのが、ロビン・ウィリアムスが亡くなった後に放送されたHBOドキュメンタリーだった。彼は自分の中の悪魔と戦う唯一の手は、起床後に体力が完全に底を尽きるまで自転車に乗ることだと話していた。そうして、夜はステージに立って2時間のスタンドアップショーに、精神・肉体的に絞りつくすまで自分を注ぎ込んだ。

思考を止めるために。なぜなら、思考は原因になり得るから。

僕はこれに強く共感した。子供のころから、心が麻痺することを望んで身体的に苦しい状況(Hell:地獄、と表現)に自分をよく追い込んだ。僕はこれを”痛みの監房”に行くと捉えていた。体力が底を尽きれば、精神も空っぽになる、と。一日の終わりにただの白紙になるために、自分を完全に書き尽くさなければならないようなものだった。

精神衛生の問題を抱える一人ひとりが、それぞれの物語を持っている。僕にとっては(おそらく多くの人にとっても同じだと思う)、僕のアイデンティティーはとても不健康なものと紐づけられていた。NBAや大学に入るもっと前から、(バスケットボールの)パフォーマンスが僕の自己価値の全てだった。僕イコール「僕がする事」(I was what I did)で、シェフ、弁護士、看護師、どんな専門家だとしても多くの人が身に覚えがあると思う。

パフォーマンスをしていない時、僕は人としてうまくやっていると思えなかった。

どうやったら自分自身でいることに心地よくいられるか、本当に知らなかった。弁明なしにケビンでいる事ができなかった。その瞬間にいること、活きることができず、いつも「次」だった。次の試合、次、次、次、、、、鬱から抜け出そうとしているかのようだった。だから、バスケットボールという杖を奪われた時に、人生で最も暗い瞬間が訪れたのは不思議ではない。

今でもまだ、話すのが難しい。けれど、今この瞬間に何かを抱えている人たちに共感してもらえると思う。この危機的状況に職と人生の目的を失った人、ほかにも、、、分からないけれど、僕の物語を聞く必要があるかもしれない。

2018年のアトランタ戦で起きた、僕のパニック発作を皆知っているだろう。時が経つにつれて、特に差し伸べられた圧倒的なサポートによって、話し易くなってきた。ある意味では(ありがたいことに)最初で最後に公共の場で経験した強烈なパニック発作によって自分が知られたのは、皮肉だろう。あの瞬間は、恐ろしかっただけでなく、多くの面で氷山の一角だった。何年にも渡って押し殺していた、自分が抱えていた問題の積み重ね。自分が抱える精神衛生問題の他の面を、その複雑でなんとも掴みづらい鬱との闘いを、いままであまり話してこなかった。

皆が知っている2018年のパニック発作が起こる5年前、おそらく人生で最も暗い時期に僕はいた。その年、所属していたティンバーウルブズでは18試合しかプレーせず、右手を2度骨折した時、いわゆる自分が作り上げてきた見せかけのキャラクターが崩壊しはじめた。ギプスをはめた僕はアイデンティティーを失い、感情的な捌け口を失った。残されたのは自分と、自分の心だけだった。当時は一人で暮らしていて、ひどい社会的な不安によって外出すらしなかった。ベッドルームから出る事すら稀だった。一日のほとんどの間カーテンを下ろして過ごし、電気・テレビ・何もつけなかった。孤島に取り残され、常に真夜中のようだった。

ただただ、暗い。闇と自分の思考だけ。毎日。

多くの人達よりも、自分が幸運であることを自覚している。当時もそうだし、今でも。請求書や子供などの心配をする必要もなかった。でも、それらは関係なかった。僕の目的意識の全ては仕事と繋がっていて、それが失われた時、どんな些細な事でも上手くいかないと、それらは積み重なっていった。

これが、周りにいる人たちが理解しきれない事だ。渦が始まるのに、大きな出来事が起こる必要はない。世界で一番小さな事によっても、それは起こる。鬱を抱えている時、状況と不相応ないつ何時にも、人は崩れ得る。

そしてそれは、、、恥に思うんだ。

その年は、鬱に対して麻痺するところまで到達した。もちろん、誰にも弱みをみせるつもりはなかった。だってそうだろ?自分のアパートに引きこもり、苦しんでいる所を誰にも見せなかった。アパートから離れるのはトレーニングをする時だけだった。トレーニングをする場所が、自分が世界に価値を与えていると感じることができる唯一の場所だった。周りにいる人たちに向けて、勇敢な仮面をつけた。

偽りのみせかけを続けるのは、難しい。

未来は意味のないものに思えてきた。希望を失うところまで行き着いた時、考えられる唯一の事は”どうやったらこの痛みを無くす事ができる?”だった。

これ以上、言う必要はないだろう。

もし、最も親しい数人の友人たちがいなかったら、僕はいま、ここでこの物語を話しているか分からない。僕の人生で出会った99.9%の人たちは、どれほどひどい状態に僕がいたか、おそらく知らない。聞き難いかもしれないけれど、今、同じ状況にいる人たちのために胸の内を吐露する必要があると感じている。

暗い部屋に座っていた時、状況が良くなるとはとても思えなかった。もし今、この瞬間に、同じように暗い部屋に座り、同じような考えを持っている人が一人でもこの文章を読んでいたら、僕が言える事はただ一つ。

誰かに話すんだ。

ただ誰かに話すことで、どれだけ開放されるか驚くだろう。あなたが抱えている事の真実を話すんだ。

そして、耳を傾けるんだ。精神衛生のおとぎ話をしようとしているんじゃない。必要な事に気が付くのに、僕は何年も、、それこそ29年もかかった。

瞑想が必要だった。セラピーが必要だった。

これらは今でも必要だし、いつまでも必要だろう。

今でも、ソーシャルメディアやニュースを見たときに不安が引き起こされる日がある。時々、何も無しに引き起こされる時もある。シンプルなマイナス思考だけで、過剰一般化の渦が始まる。

ああ、今朝のコーヒーはクソだ。自分もクソに違いない。ひどい人間だ、と。

ベッドから出たくない日もある。これが僕の真実だ。だから、これを書いている。

僕が受けている素晴らしいサポートと、NBA選手というプラットフォームが理由で、人々は僕の事をいわゆる完成品だと見ていると、時々思う事がある。精神衛生における成功談の類として。編集されて整理されたバージョンの僕を。

そしてそれは、本当の僕ではない。

真実は、本当の僕は今でも奥底に居座ったクソに、毎日対処している。本当の僕は、今でも怒りと不安をコントロールする術を学ぼうとしている。本当の僕は、NBAの全ての人に(精神衛生の)道を切り開いたダマー・デローザンの勇気なくして、この物語を話す事はできなかった。

本当の僕の物語は、キャブズが優勝しても終わらなかった。急に全てが良くなってエンドロール、ではなかった。

真実は、人生で得た最も深い楽しみと平穏は、バスケットボールとは何の関係も無かった。金や名誉、達成した事とは、何も関係が無かった。

鬱からの脱却は、達成するものではない。

クリーブランドの街にNBAタイトルをもたらせた事は素晴らしかったが、それはハッピーエンディングではなかった。それは僕の仕事であり、今は僕のアイデンティティーと自己価値とは別のものなんだ。僕にとって人生最高の日の一つは、セラピストと僕が抱えている問題について取り組み始めた後、初めて100%の自分で心地よくいられた時に訪れた。ただのケビンでいられた。次の事を考えなかった。ただ、その瞬間にいて、完全に活きていた。この経験から僕が言えるのは、何年生きていたとしても、30秒もその瞬間を活きていない事がある、ということだ。

こんな風に平穏な心を感じる日が来ることを、人生のどん底にいた2012年に言われても、信じなかっただろう。オールスターに選ばれて、オールNBAに選出され、ロンドンオリンピックで金メダルを獲得した後の年に、闇が自分を喰らおうとしている事に気が付いていなかった。

分かるだろう。ハッピーエンディングを売りつけようとしているんじゃない。僕ができるのは、本当に暗かった時期について、できる限り正直である事だけだ。

2018年、パニック発作の最中にトレーナールームの床で倒れていた時は、おそらく人生で最も恐ろしかった瞬間だった。空気を求め、心臓が胸から飛び出しそうで、死ぬ可能性を本当に考えた。そして、”ケビン、何が必要なんだ?何が必要なんだ?何が必要なんだ?”と問いかけ続ける僕たちのトレーナーであるスティーブ・スピロの姿を忘れることはないだろう。

何が必要か?

それが分からないんだ。

それが全てだ。

それを見つけるのに、29年もかかった。

何が必要か?

僕にとって、おそらくそれは、誰かに話す事だった。

僕にとって、独りじゃないと、知ることだった。

もし、あなたが今、苦しんでいるとしたら、楽になるよとは言えない。

ただ、良くはなると伝える事はできる。

そして、あなたは絶対に独りではないことも。

 

ケビン・ラブ